2009年 05月 29日
巨石!巨大イワクラ:宮城県丸森地区に広がる一大巨石群! 隣にピラミッド山(丸森富士)を持つ「巨大イワクラ・立石」 このブログは、宮城県伊具郡丸森町にある、町のシンボルとも言うべき「立石」の存在について取り上げたものである。ある方達は、ボルダータワーとも言っているようである。 ある方はランドマークではないか!と。 地元では名の知れた不思議な巨石である事は確かであるのだが、残念ながら、金華山の天柱石と同様、地元以外の人は、知る人のみぞ知る!程度で゙、イワクラの巨大さ、その素晴らしさについては、広く近隣に知れ渡っている・・とは言い難い。 世間の広さも知らない狭量さを棚に上げるが、事実、50kmしか離れていない同県塩釜市に住む私も全く知らず、たまたま、丸森町にあるハイキング山の「磐岳」「夫婦岩」等へ、巨石探しに登った際、案内図板に、「立石」の名が在り、名前からして、これは、確認しなければ!と思い、登り知ったものである. 奇麗なピラミッド山 立石 完全なイワクラではないか!全国区の規模である! 更に、周りを歩いて、その他の置かれてる巨石が意味を持つものか確認して回った。 東側を見ると、ピラミッドの山は丸森富士と呼ぶが目の前に見える。直ぐ、ここ立石がある立石山が拝殿で、丸森富士のピラミッド山が本殿!などと、リンクする東北のピラミッド山々のブログ掲載者の私の短絡した発想が浮かぶ。 [右の私のエキサイトブログの各項目をクリックすると行ったり来たり出来ます。是非覗いて下さい。] [尚、巨石やピラミッド山等について、 関心のある方は是非、「イワクラ学会」の「検索」をお勧め致します。]又、[丸森に関する巨石HPの「丸森の巨石伝説」を検索して下さい。] #
by yo-hamada5
| 2009-05-29 22:43
2007年 03月 17日
昭和41年10月5日、宮城県丸森町字泉72-1山林内にある羽入の「立石」が、町の天然記念物(地質鉱物=花崗岩)として指定された。 丸森町の中心街から東南東約2kmの所、羽入東の山の中腹峰上にあり、柱上の花崗岩でできた、高さ12、3m、周囲25、1m、上部は畳10畳敷き位と言われておる、巨大なイワクラ=立石である。 この立石からは、石の回りに弥生式土器の破片や、年代不詳の古銭貨幣が出土していると言う。人々が信仰の対象にしてきた事は間違いない。 又は、信仰の他、ランドマークとして、古代丸森人が、地域を移動し、またそこに戻ってくるための目印として、配置したものか、はたまた元々あったものか!・・・・ 2km以上も離れた阿武隈川の橋からも町を通り越し、はっきり見えるのだ。 地元の方は、「今から 50年位前には、脇の松の大木から立石の上に乗り移り遊んだものだ!又、露出している石の形は昔から変ってはいないが、想像するに、埋もれていた巨石が、長い間の雨や雪で、少しづつ周りの土が流れ、露出して来たのではないか!」と語ってくれた。 ・・が、果たして、逆ではないのだろうか!もっと巨大で直立していた石が、気の遠くなる年月の間に段々埋もれてしまって、現在の姿があるのではないか! 下の埋もれている部分については地元の方に伺っても不明である。 立石山の、巨大なイワクラ・立石! #
by yo-hamada5
| 2007-03-17 13:13
2007年 03月 17日
巨大イワクラ・立石の周りの巨石群は何を意味しているのだろうか! 昔から周りの巨石の移動はなく、其の儘の状態との事 資料によると、大正15年刊の伊具郡誌には義家の敵将である安部貞任がこの石上に立ったと、記されており、又、安永8年(1779年)の伊達藩の国勢調査とも言うべき「風土記御用書出」にも、名石として書かれており、源(八幡太郎)義家が、部下の士気を高めようとして、この立石に登り、松掛の的石をめがけて弓を射ったと記されるなど、古くから注目されて来たものである。 ネット「丸森の巨石伝説」(地元丸森の「金龍山瑞雲寺」のHP)を開くと、巨石名「立石 日本一の道祖神」に、超お宝写真が掲載されていた。瑞雲寺村上明秀副住職が「超貴重!私の家にある立石の昔の写真」として掲載されていたものをお借りした。 どうですか!はっきりその姿を拝む事が出来るではないですか! 立石の周りを取り囲む巨石はストンサークルではなかったのか!図を起こしてみると益々そう思うのであるが如何であろうか! #
by yo-hamada5
| 2007-03-17 13:01
2007年 03月 17日
立石の真下周囲の配置された巨石の他にも、西側の峰沿いに少し足を延ばすと、磐を利用して置かれた、羽山大権現の祠があり、脇には、ドルメン崩れのような石組がある。 立石との絡みが考えられる。すぐ近くに、日立十王の堅破山の太刀割石と酷似した巨石も見えるが自然のなせる業であろうか!。 ドルメンか! 祀られている羽山大権現 茨城県日立十王の堅破山の太刀割石と酷似 始めて「立石」を間近で見た時は、岩手県遠野のドルメン・続石と同様、衝撃的であった。 興奮冷めやらず、下山すると、その部落名が何と、飛ぶに絡む「羽入」(はにゅう)である事にも絶句であった。 地図を見ると7km西には、[羽入]に対峙する「羽出(庭)」(はで)の部落名がある。 その後も幾度となく登り、近辺の巨石の絡みや、地元に数ある羽山や昔からの伝説等の謎にのめり込んで行くのである。 丸森小富士の尾根の左に少し行った所の下にこの重ね石がある。横からと正面からの写真である。 横からの写真である。 正面下から撮ると一個の岩である。 重ね石全体では、幅約3、8m、高さ約9mもある。 当然ながら、一つの巨岩が何段にも割れたに過ぎないと言われるだろう・・・・。 しかし、この5段の重ね石は不思議な巨石に思えるのである。 どうも人工?臭いのである。 人工と言うと誤解を受けるが、自然石を利用・加工し目的に利用したのではないかという事なのである。その目的とは、太陽信仰や巨石信仰の為ではないか! 上二段目には人の手が加えられた様な部室が在り、奥行き内部は約4mの空間になっているのである。これも自然の成せるものだろうか! これは一番上段の石から2段目のその部屋の入り口を上から覗き込んで撮ったものである。 足元の一番上段の石は、当然屋根に該当する。 屋根は奥3、3m×幅2、4m×高さ0、9m位のおむすび状で凡そ3~5トン?ある。 部屋の奥行きは若干下り勾配になっているが4m、幅は奥35~入口60Cm、高さ125Cm程ある。2人が充分に寝られるスペースである。 撮影日は冬至!である。その部屋から沈み行く太陽が・・・見える。 後2時間もすれば沈む太陽の光がこの部屋に差し込んで来るだろう! この部屋から正面を見ると、その先には、「立石」が見えるのである。 重ね石から見える、丸森「立石」遠景 部屋から 急いで、対面のその「立石」に行ってみると、沈み行く太陽が見える。先程の重ね石の部屋には光が差し込んでいるに違いない。 冬至に、沈む丸森の「立石」 かつて調べた丸森立石脇の斜面石 かつて、立石の右脇に鎮座する30度角のこの斜面石について調べたが、仙台天文台担当官が「・・・この面がある方向は!即ち、冬至に沈み行く太陽を向いている!」と、教えてくれた。 不思議である。冬至の太陽→立石(及び斜面石)→重ね石洞穴が一直線でつながるのである。 古代人は、沈み行く太陽を眺め!冬至を確認し、太陽神と立石に宿る神を、ここ重ね石から拝んだに違いない。太陽信仰と巨石信仰である。・・・ ただ、やはり、時として想像を絶する自然の成せる業に、驚異や不思議さをいつも思い知らされ、躊躇してる何かがある。与太話でなく、極めて真面目に推測したのだが、さて皆さんはどう思われるであろうか! 重ね石の近くには、見るものを圧倒するいくつもの巨石が存在する。 羽山に向かう 尾根右下には、自然の成せる達磨石、笠石、等の巨石群が存在する。 金龍山瑞雲寺村上副住職の「巨石リスト」・No3の「小富士山巨石群」では、重ね石を「芋虫岩」と言い、この林立する立石を「グッジョブ岩」と名づけておられた。 達磨石 又羽山には重ね石、台座に乗ったような垂直壁のメンヒル状巨石、割り石などの巨石群がある. (割愛) #
by yo-hamada5
| 2007-03-17 12:49
2007年 03月 17日
松掛の的石がある山 松掛の的石というのは、立石から6、5km、北西330度にある山の巨岩・巨石がある所で、村名の由来にもなった所である。 既述の、安永御用書出にもこの由来が記されているとの事。写真は的石の巨石である。 磐の上にただ、自然に置かれているようだが、立石との絡みは果して伝説だけだろうか。 弓で射る伝説にしては立石から6Km以上も離れているのにも拘らず、何故そんな不思議な伝説が生まれたのであろうか! 伝説上、立石から射られた巨石的石! #
by yo-hamada5
| 2007-03-17 12:19
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